終わりまで従い通す
- みたまキリスト教会

- 7月21日
- 読了時間: 2分

2026.07.12
「終わりまで従い通す」
◎ヨハネ12:23~26
新約聖書には、初代教会の七人の奉仕者の一人である伝道者ピリポが登場します。ペンテコステからスタートした教会では、配給の偏りによる弱者への差別を解決するため、あえて少数派であったヘレニスト(ギリシア語を話すユダヤ人)の中から、ピリポやステパノたち七人がリーダーに選ばれました。しかし、その
中の一人ニコラオが後に道を踏み外したと言われるように、「終わりまで従い通す」ことは決して簡単ではありません。
七人の筆頭であったステパノは、迫害者のために赦しを祈りながら石打ちに遭い、最初の殉教者となりました。。ヨハネの福音書12 章24 節にある「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。
しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」というみことばの通り、彼が死んだことで教会は散らされ、結果として福音は世界中へと広がっていきました。
一方で、伝道者ピリポの歩みは対照的です。彼は聖霊に導かれてエチオピアの宦官にみことばを伝えるなど華々しい活躍をした後、聖書の記述からは一旦姿を消します。しかし約20 年後、カイザリヤの町で地道に家庭を築き、かつて教会を激しく迫害したパウロ一行を自分の家に喜んで迎える姿で再登場するのです。一時の熱狂だけでなく、長い年月の中で敵を赦し、日々神さまに従い通していたピリポの姿がそこにあります。
私たちは時に、ステパノのような命を投げ出す殉教にばかり目を向けがちです。しかし、自然界の麦は、大地に根を張り、時間をかけてしっかりと成長し、実を結んだからこそ重みを増して地に落ちるのです。地に落ちる前に、置かれた場所で地道に生き抜き、成長するという「日常の歩み」が欠かせません。
イエスさまは「わたしに仕えるというのなら、わたしについて来なさい」と言われました。それは無謀な自己犠牲を強いることではなく、イエスさまの愛の内にとどまり、今与えられている日々を精一杯生き抜くことです。最後まで主の愛と神さまのみことばにとどまり、日々の生活を誠実に生き抜くこと、それもまた神さまが私たち一人ひとりに願っておられる「真の献身」なのです。
<みたまキリスト教会日曜礼拝学び・小林泰輔牧師>


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