真実の愛をささげる
- みたまキリスト教会

- 8月25日
- 読了時間: 2分

2026.08.09
「真実の愛をささげる」
◎マタイ9:9~13
みなさんは、すべてを捨ててイエスさまに従うことができますか。それができるのは、真実の愛に出会った時だけです。今回は、人生のすべてをささげた使徒マタイの姿から学びます。
マタイはもともと、ローマ帝国の手先となって同胞から税を搾取する「取税人」でした。人々から「罪人」として忌み嫌われ、孤独と虚しさを抱えていたかもしれない彼に、ある日イエスさまは「わたしについて来なさい」と声をかけられました。「生き方を改めたら」といった条件は一切なく、ありのままの姿で無条件に受け入れ、招いてくださったのです。そこにあったのは、神さまの「真実の愛」でした。取税人という職を放棄することは、二度と元には戻れない背水の陣の決断です。しかし、マタイは自らの福音書に「すべてを捨てて」とは記していません。彼にとって重要だったのは、何を捨てたかではなく、「誰に出会ったか」だったからです。
その後、マタイはイエスさまを家に招き、罪人たちを集めて盛大な宴会を開きました。彼らとの食事を批判するパリサイ人に対し、イエスさまは「わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない」と答えられます。神殿でいけにえをささげることすら許されなかったマタイにとって、形式上の信仰ではなく真実の愛の交流を認めてくださったイエスさまの言葉は、生涯忘れられない恵みとなりました。
私たちの神さまは、無理やり犠牲を搾取するような方ではありません。マタイは「こんな私を愛してくださる方がいる」という喜びに溢れ、自発的な愛をもって自分のすべてをささげたのです。
イエスさまの真実の愛は、今日、私たち一人ひとりにも注がれています。人生の出来不出来にかかわらず、神さまはあなたを深く愛し、その御腕の中に招いておられます。このイエスさまの愛と招きをただ「ありがとうございます」と受け取り、私たちもマタイのように、自発的な喜びをもって真実の愛をお返しする歩みを進めてまいりましょう。
<みたまキリスト教会日曜礼拝学びポイント・小林泰輔牧師>


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