「ときのしるし」
2023.05.07
◎ルカ21:5~36 小林泰輔師
立派なエルサレム神殿(ヘロデが建てた第二神殿)を見た人々が感嘆していると、イエスさまが神殿の崩壊をほのめかすようなことを言われました。神の臨在を象徴する神殿が崩壊するとは、世界の終わりのように人々には感じられたかもしれません。そのようなことが起こるとはにわかには信じ難い人々は、いつそのようなことが起こるのか、そのときのしるしはどのようなものかを尋ねました。それらは、にせキリストの登場と惑わし(8節)、戦争や暴動のうわさ(9 節)、地震や飢饉や疫病(10節)、迫害(11 節)などです。「それらのことが必ず起こりますが、終わりはすぐには来ないから」(9節)恐れる必要はありませんと言われました。たしかにこれらは歴史上、幾度も繰り返されてきたことで、現在もあることです。とは言え、どれも私たちにとって嬉しいことではなく、苦しみを伴うものです。マタイの福音書24:8では「これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです」と言われました。産みの苦しみの次に待っているのは、新しい命の誕生の喜びです。また、これらのときのしるしを、いちじくの木やすべての木にたとえて言われました。いちじくは実が成り、葉が茂ると、それで夏が近いことが分かると言います。同じようにこれらのしるしが過ぎ去ったら、神の国が近いのです。イエスさまの約束のみことばに聞きましょう。「しかし、あなたがたの髪の毛一本も失われることはありません」(18節)。その前の文脈では迫害で命を落とす者もいるとのことですから、これは神の前にあるあなたの永遠のいのちには誰も手出しができないということです。そして「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません」(33節)。神のことばによって約束されたことは決して違えることはないのです。いよいよというときのしるしは、「天のもろもろの力が揺り動かされる」(26節)ような天変地異でしょうか。そしてそのとき人の子イエスさまが雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見ると言います(27節)。そのときまでどのように過ごすか。これはすべてのみことばに対する応答として共通です。聖書を読み、神のみこころとご計画を知ったなら、そのときまでどのように過ごすのかが問われるのです。その日は盗人のように突然来ます。いつ来てもよいように、放蕩に耽ったり、思い煩いで信仰を失うようなことがないように、いつも目を覚 まして祈り、待ち望みましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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