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執筆者の写真みたまキリスト教会

この道わが旅

2021.10.17



◎ルカの福音書9:46~62

十字架の道をわが旅とするのがキリスト者の歩みです。しかし、弟子たちは、主イエスのお言葉を聞いたそばから正反対のことを論じ始めました。誰が一番偉いのかということです。マルコの福音書では、この時、真のリーダーになりたければしんがりに立ち、皆に支える者になりなさいと言われました。一番先頭でイエスさまの話を聞いて、知識は増えるかもしれないが、頭でっかちの知識ばかりの信仰ではなく、後になって仕えるという、実践する信仰を求められたとも言えます。そして、子どもを受け入れることのできる謙遜さを持つような、小さな者こそが一番偉いのだと語られました。弟子たちはこのことも理解できずに、伝道を拒むサマリヤ人を滅ぼしましょうかと言ってみたり、悪霊を追い出す人たちが自分たちのグループでないからとやめさせようとしたり、高慢さを次々と露呈させ、イエスさまに叱られました。それから、三人の人がイエスさまの旅の同行者 として志願してきます。「あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。」(57)この言葉は私たちの思いでもあります。受洗したときに誓ったことでもあります。嘘偽りなく、本気でそう誓いました。イエスさまは言われました。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません」そのような旅が私たちにできるのか、その覚悟が問われます。また、二人目は、従って来なさいとの招きに対 して、父を葬ってからにしてくださいと答えました。葬儀は何よりも優先されることでしょう。どんなに忙しくても忌引き休暇は許可されます。しかし、それ以上に緊急なのは、神の国を言い広めることだと言われました。三人目も、家族に別れを告げてからと答えました。エリシャの真似をしたのでしょう。しかし、「鋤に手をかけてからうしろを見る者はだれも、神の国にふさわしくありません」と言われました。父母を敬うべきであり、家族との別れが大切であるからこそ、それと比較することで、どんな状況でも宣教の働きが中断されてはいけないことを示されました。主に従い通す、十字架の道をわが旅とする、この決意は聖霊によるのでなければ完遂できません。日々聖霊の導きを求めて歩み続けましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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