もはや時は残されておらず
2024.02.11
◎黙示10:1~11
本当の説教題はもう少し長くて「もはや時は残されておらず」という時が来る前に…です。聖書に出てくる「時」は「クロノス(時間)」と「カイロス(機会)」です。ここで使われているのは「クロノス」です。イエス・キリストの再臨までもう時間が残されていない。すぐそこまで来ている。ですから、この機会を逃さずに救いの恵みに与りましょう。そう人々に伝 えましょう。これが結論です。11章の聖書本文を見ていきます。一人の強い御使いが出てきます。これまでに登場したどの御使いとも違います。この天使は、片足は海に、もう片方は地に下ろして立っているというのだから、巨大な御使いなのでしょうか。手には開かれたあの巻物を持っていますが、相対的に巻物は小さく見えます。七つ目の封印が解かれたら、七人のラッパを吹く御使いが現れますが、最後の第七のラッパの前に10章と11章が挿入されています。そこで七つの雷が語るとあります。それは神の御声であると思われますが、それを書き記してはならないとヨハネは言われるのです。雷から連想するのは神の怒りですが、その内容がわからないのです。神の御怒りのゆえに災いがふりかかろうとしているのに、その内容は秘められているのです。聖書は神のご計画のすべてを記しているわけではありません。なお秘められている奥義があり、それは神の主権のうちにあるものです(参照申命記29:29)。この世界に目を向けたときに、神がおられるのなら、どうしてこのようなことが…と叫びたくなるようなこともありますが、私たちにはすべてはわからないのです。私たちが神の座につき、神に向かって「なぜこのようなことをするのか」などと裁くべきではありません。理不尽に思えるようなことにさえ、神の深い摂理があり、神の主権の中で起きていることを認めなければならないのです。第七のラッパが吹かれると、それはイエスさまの再臨の合図です。再臨は最後の審判のときでもあります。そのときに神の奥義が実現するとあります。もはや秘められたことはなく、すべてが明るみになり、すべてが報われるときが来るのです。ヨハネは御使いから巻物を手渡され、あのエゼキエルのように、それを食べよと言われて食べます。それは口には甘いが、腹には苦いとあります。救いの恵みに与った者には甘いが、なお救われていない同胞を見るときにそれは苦い思いとなります。福音は良い知らせとは言いますが、悪い知らせを含んでいます。神を信じず、イエスを主と告白しないのならば滅びが待っているという事実です。福音は甘くて苦いのです。巻物(いのちのみことば)は今や私たち教会に託されています。世の不条理を解き明かすことはできませんが、救いの道を宣べ伝えることはできます。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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