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執筆者の写真みたまキリスト教会

よき隣人に

2021.11.07



◎ルカ10:25~37

ある律法学者との問答ですが、「何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか」というものです。それに対してイエスさまは「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか」と質問で返されました。律法学者が答えたのは「シェマー」と呼ばれるユダヤ人がことあるごとに唱えるみことばでした。「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」どんな時でも、どんな場所でも、唯一の神を神としているかと問われます。考え事をしているときも、主がともにおられます。力を尽くして主に奉仕をささげるために健康にも留意したいものです。知性を用いて、現代の知見によって人を愛するスキルを身につけることも大切です。かくして隣人を愛することを通して、神を愛していることが証しされるのです。イエスさまは律法学者に対してごくシンプルに命じます。「それを実行しなさい。」ところが律法学者は真正面から受け止めず、「私の隣人とは誰ですか」と尋ねます。同胞であるユダヤ人こそが隣人であるという認識だったのでしょうか。イエスさまは、いわゆる「よきサマリア人のたとえ」を話されました。そうして、イエスさまは尋ねました。祭司、レビ人、サマリア人、このうち、誰が強盗に襲われた人の隣人になったのか。律法学者は渋々といった様子で「その人にあわれみ深い行いをした人です」と答えました。それはサマリア人のことでした。サマリア人は、強盗に襲われた人を「かわいそうに思った」のですが、それは「はらわた痛む」とも訳される言葉で、福音書ではイエスさまにだけ使われる言葉です。またもイエスさまの適用はシンプルです。「あなたも行って、同じようにしなさい。」十字架を背負って誰かの身代わりに死ぬようなことは、自分にはできないと、愛の足りないことを嘆かわしく思うこともあります。しかし、このたとえでサマリア人がしたことは、2 デナリ分の親切でした。それならば私たちにもできないこともないのではないでしょうか。しかし、もっと大きなことは、差別や憎しみを乗り越えることかもしれません。それには悔い改めが必要です。主の助けを仰ぎながら、憐れみに生きられるように祈りましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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