イエスの杯とバプテスマ
- みたまキリスト教会

- 18 時間前
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2026.06.14
「イエスの杯とバプテスマ」
◎マルコ10:35~40
イエスさまは、権力の座を求めてきたヤコブに「わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができますか」と痛烈な問いを投げかけられました。
ヤコブはその本当の意味を全く理解しないまま、「できます」と無邪気に答えました。ヤコブは情熱的にイエスさまに従った一方で、人を押しのけてでも自分の正しさを証明しようとする、野心と怒りに満ちた不完全な人物でした。サマリヤの村で歓迎されなかった時には、「天から火を降らせて焼き滅ぼしましょうか」と息巻き、「雷の子」と呼ばれていました。本来ならば、他者を排斥しようとするヤコブ自身こそが、神さまの裁きの「杯」を飲まなければならない存在だったのです。
しかし、イエスさまは私たちが飲むべき「呪いと裁きの杯」を、十字架の上で代わりに飲み干してくださいました。私たちが受けるはずの刑罰をイエスさまが担い、その苦しみにどっぷりと浸される(バプテスマ)ことによって、私たちの罪は赦されたのです。
だからこそ、私たちはもはや自分の正しさを証明するために他者と戦う必要がなくなりました。のちにヤコブは、12 弟子の中で最初の殉教者となります。理不尽に命を奪われる瞬間、彼は天から火を呼ぶことも武力で抵抗することもなく、死を静かに受け入
れました。そして自分を告発した人に口づけし、「平安があなたにあるように」と赦しを与えたと伝えられています。彼はイエスさまの徹底的な無抵抗の愛に浸され、「雷の子」から「平安の子」へと造り変えられていたのです。
私たちは立派な人間にならなくても、すべてが信じきれなくても構いません。苦しみや弱さを抱えたまま、ありのままの姿で主に向かって叫ぶとき、イエスさまが用意してくださった「恵みの杯」が与えられます。神さまは、不完全な私たちを愛の内にどっぷりと浸し、豊かな生涯へと導いてくださるのです。
<みたまキリスト教会日曜礼拝学びポイント・小林泰輔師>


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