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執筆者の写真みたまキリスト教会

エリシャとナアマン

2022.10.30



◎Ⅱ列王記5:1~19

アラムの将軍ナアマンは国の英雄でありましたが、ツァラアトという難病にかかりました。ナアマンの家にはイスラエル人の奴隷の女の子がおり、イスラエルにはエリシャという預言者がいて、きっと病気を治してくださるでしょうと、将軍の奥さんに告げました。この少女を奴隷にしていなかったら、少女が勇気をもって主人に進言しなかったら、一つ一つの出来事が神の主権、神の摂理の中にあり、そうしてまことの神との出会いを経験することになるのでした。さて、その言葉を信じて、エリシャのもとを訪ねたナアマン将軍ですが、エリシャ自身が出迎えるのではなく、使いの者がやってきてヨルダン川で身を7回洗いなさいと言うだけです。自らは礼を尽くしているのに、なんという失礼なことかと立腹したナアマンはそのまま帰ろうとしますが、ここでも神のみこころが人々を動かし、ナアマンの付き人たちが諌めます。治るために難行苦行を言われたら、それには従ったのではないか?怒る前にとりあえずやってみてはどうか?と言うのです。それで思い直したナアマンはエリシャの言葉通りに従ってヨルダン側で身をきよめます。すると、ツァラアトがきれいに癒されて赤ちゃんのようなツルツルのお肌になりました。人は難しい苦行や、行いによって救われるという方が納得しやすいのかもしれません。しかし、イエス・キリストの十字架の犠牲が自分のためであったと信じて、イエスを主と受け入れるだけで救われる、信じる者は救われるというごく簡単なことには拒否反応を示すのですから人間とは難しい生き物です。ヨルダン川で7回(七はユダヤの完全数)身をきよめるというのは、イエスの血の犠牲により完全に私たちの罪が洗い流されることの予表です。私たちはたった一度のイエス・キリストの犠牲の血により、癒され救われたのです。信じてその通りに行動したナアマンはきよめられ癒されました。そうして、今まで信じてきた異教の神々に従うことを一切やめて、イスラエルの神、唯一まことの神だけを信じて生きて行くことをエリシャの前で誓いました。しかし、王の側近として、王がリンモンを崇拝する手伝いとして自分も膝をかがめることがあるのが心配でした。そんなこともしたくないと思うほどに、きよい神への信仰に変えられたのです。主はそのような心を喜ばれます。私たちも真心をこめて神を礼拝しましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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