ラストチャンスを逃すな
2024.0121
◎ 黙示録9:1~21
この9章では、第五の御使いと第六の御使いがラッパを吹きます。第五の御使いがラッパを吹くと、星が天から落ちてきて、底知れぬ穴(アビス)ができます。そこから「いなご」が現れて、草木には害を及ぼさずに人間を五ヶ月間苦しめるようになります。自然界のイナゴとはどうやら異なる何かのようです。「いなご」には王がいて「アバドン(滅び、よみ)」または「アポリュオン(破壊者)」などと呼ばれます。「いなご」はサソリの尾のような針(とげ)を持ちます。その苦しみは、むしろ死んだ方がましと思われるような苦しみのようです。しかし、死ぬこともできないとあります。ここでも抑制的に期限が定められ、神は悔い改めのチャンスを与えておられます。しかし、キリスト者には勝利が与えられています。「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか」(Ⅰコリ15:55,56)「確かにわたしはあなたがたに蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。ですから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません」と約束されています(岡山英雄著「ヨハネの黙示録注 解」参照)。第六の御使いがラッパを吹くと、ユーフラテス側につながれている四人の御使いが解き放たれます。以前に出て来た四人の御使いは地の四隅に立ち、害を抑えていたのですが、こちらの御使いはむしろ人々を殺すために解き放たれるのです。二億の騎兵が現れ人間の1/3が殺されます。「いなご」や「騎兵」のピクチャを思い浮かべると、例えば無人飛行機(ドローン)や、戦車のようなオーバーテクノロジーをヨハネのボキャブラリーで表現したのかと解釈したくもなります。世界戦争でも起きるというのでしょうか。そのような当てはめ方は安易な読み方として慎まなければならない一方、他方で、ひどい災害や、痛ましい戦争の現実を見ても、神を恐れることも、自らを顧みることもしない、そのような繰り返す歴史を見るときに、聖書の「いなご」「騎兵」が何を示すのかは分からないけれども、聖書の記述の結果のとおりになっていることは読み取れます。もし、聖書の記述のままの異形の存在が裁きをもたらすようなら、人々はもう少し真剣に考えると思うのですが、恐ろしいことに人々はそれでも一向に悔い改めようとしないのです。黙示録の裁きは激しさを増していきます。まだラストチャンスではありません。今はまだ悔い改めるチャンスがいつでも目の前にあります。しかし、もう遅いという時は盗人のように来ます。自己中心の罪を悔い改めて、神を恐れて生きる道に立ち返りましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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