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執筆者の写真みたまキリスト教会

人生の決断とみこころ

2023.01.29



◎エステル記4:14

「エステル記」は「ルツ記」とともに女性の名前が書簡名になったものです。エステル記には神の名は出てきませんが、他の書簡同様かそれ以上に神の臨在と神の御手の導きを教えられる書です。時代はペルシャ帝国クセルクセス王の頃、127州の中から沢山の側室を抱えていた王ですが、ある宴会の席上、上機嫌になった王は、美しい王妃ワシュティを呼び出しました。しかしワシュティはその命に背いたために王妃の座を追われ、その代わりに王妃と選ばれたのがエステルでした。エステルはユダヤ人であることを隠していました。エステルの養父モルデカイもまた王に仕える役人で功績もあげていました。しかし、筆頭家臣はアガグ人ハマンであり、王の家臣はみなハマンには膝をかがめてお辞儀をしていました。モルデカイ唯一まことの神のみを礼拝するユダヤ人であることを公表していたので、ハマンに膝をかがめることはしませんでした。それが面白くないハマンは王をたぶらかして、ユダヤ人に謀反の気ありと吹き込み、ユダヤ人抹殺計画を王に進言し、認められてしまいます。その決行の日をくじ(プル)で決めたところ十二ヶ月後となりました(説教では一ヶ月後と言いましたが訂正します)。民族存亡の危機を知ったモルデカイとユダヤの民は悲しみに暮れました。そしてモルデカイは王妃エステルに王が考え直してくれるよう頼んでくれないかと言います。エステルはユダヤ人であることを隠していたので、自分だけ助かることもできました。しかも、呼ばれてもいないのに王の前に出れば王の機嫌次第で死刑になる可能性もあります。養父モルデカイは酷な頼みであることを知りつつも「あなたがこの王国に来たのは…このような時のためかもしれない」と頼みます。エステルはそれを信仰をもって受け止めつつ、同胞たちの背後の祈りを要請し、勇気と決死の覚悟で決断し、王の前に出ました。エステルは王にハマンの計画によれば自分も死ななければならないことを思慮深い方法で打ち明け、ハマンは自らがモルデカイのために打ち立てた処刑柱にくくりつけられることになりました。そして王はエステルの民族ユダヤ人を決して迫害してはならないという新しい詔勅を全州に出しました。私たちは人生において多くの決断をします。しかし、その背後に主の導きと御手の守りがあることをおぼえましょう。また、その決断がみこころにかなうものならば必ず祝福されることを信じて、信仰と勇気をもって決断しましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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