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執筆者の写真みたまキリスト教会

何を握りしめているのか

2023.02.19



◎黙示録2:12~17

七つの教会へのメッセージ、第三の教会はペルガモンの教会です。文化や学問の町、そして皇帝崇拝の中心地でもありました。それを主は「サタンの王座」があるような町と言われ、そのようなところにあなたがたが住んでいるのを知っていると言われました。皇帝礼拝に参加しないことは色々な不利益を生んだかもしれません。それでもペルガモンの教会の人々は、神の御名を固く握りしめて耐えていました。アンティパスという殉教者も出るほどの迫害の中で耐えていることを知っていると言ってくださるのです。しかし、そんなペルガモンの教会にも「少しばかり責めるべきこと」がありました。七つの教会のメッセージの最初はいつも、発信者である主がどのようなお方であるかが書かれています。ここでは「鋭い両刃の剣を持つ方」です。ヘブル4:12にあるように主のみことばは、鋭い両刃の剣のようであり、関節と骨髄、霊とたましいを判別するようなものです。それはつまり、判別しにくいものもスパッと切り分け、微妙なわかりにくい罪も刺し通すものです。ペルガモンの教会は確かに外側からの迫害の圧力には徹底抗戦しました。しかし、内側には微妙で分かりにくい腐敗が始まっていたのです。その罪とは「バラムの教え」「ニコライ派の教え」がはびこるのを許したことです。バラムは民数記に登場するイスラエルの預言者です。敵国の王バラクに請われてイスラエルを呪う預言を頼まれたけれども返ってイスラエルを祝福したという人です。バラクは三顧の礼のように手厚くもてなしたのですが、思い通りにはいきませんでした。しかし、このところを見ると後々のバラムはバラクに味方するようにイスラエルをミスリードしていく役割を担ったようです。ニコライ派の教えも詳しくは書かれていませんが、わかりにくく腐敗へと誘うものだったのかもしれません。同じ教会の中に、迫害に懸命に耐え、徹底的に戦う者と、内側からの腐敗に知らず知らずに飲み込まれていく者とがいたのです。主はその「教会」に向かって「だから、悔い改めなさい」と言われたのです。そうでなければ「彼らと戦う」と言われました。教会の中の毒麦と戦われるのは主のなさることです。私たちには誰が麦で誰が毒麦かを判別することはできません。判別のつかないことをも刺し通すことのできるのは、両刃の剣を持つ主のなさることです。私たちにできることは、「共に」主の御前に出て悔い改めることです。兄弟を悔い改めに導き、兄弟に悔い改めの告白をし、兄弟に赦しの宣言をすることです。そうして主の教会になっていくのです。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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