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力あるわざと不思議としるし

  • 執筆者の写真: みたまキリスト教会
    みたまキリスト教会
  • 2 日前
  • 読了時間: 2分

2026.05.24

「力あるわざと不思議としるし」

◎使徒2:22

 「復活だけはどうしても信じられない」。そうおっしゃる方がいるかもしれません。それは正直な気持ちだと思います。では、どうすれば納得できるのか。証拠を提示すれば信じられるのでしょうか。実は、神さまは私たちに「信じられるかどうか」ではなく「救われたいかどうか」を問うておられます。

 ペテロは、イエスさまが救い主である十分な証拠として、「力あるわざと、不思議と、しるし」がすでに歴史の中に示されたと語ります(22 節)。「しるし」とはサイン、行き先を示す看板です。すなわち「この神の御子、救い主イエスについて行け」という看板です。神さまの側からの証拠はすでに出揃っているのです。

 本来、自分勝手に滅びへと向かっていた私たちを救わなければならない道理など、神さまには何一つありませんでした。それなのに、神さまはご自身の道理を曲げてまで十字架にかかり、命を捨てて恵みの手を差し伸べてくださいました。救う側の神さまが命がけで愛してくださっているのに、救われる側の私たちが腕組みをして「ちゃんとした証拠を見せろ」と品定めをし、知性を使って神さまをジャッジしようとする。これは完全に主権が逆転しています。問われているのは「信じられるか」ではなく「救われ

たいか」なのです。

 証拠が揃ったら信じるのではありません。まず神さまとの知恵比べに降参して、神さまの愛の懐に飛び込むのです。そうすれば、約束された聖霊があなたの内側から「神さまは生きておられる」という確信を日々増し加えてくださいます。私自身、35 年前に神さまの愛に飛び込みました。難病や苦難の中でも、理性では説明のつかない静かで確かな平安がいつも心を包んでくれました。これこそが、私にとっての最大の「しるし」でした。

 今こそ、理屈や証拠探しの腕組みを解いて、そのままのあなたで、神さまの圧倒的な愛の海へ思い切って飛び込んでみませんか。半信半疑でも大丈夫です。飛び込むあなたを、神さまは釘跡のある温かい両手でがっしりと受け止めてくださいます。主権者なる神さまにすべてをお委ねして、豊かな不思議に満たされる毎日を歩み出しましょう。

<みたまキリスト教会日曜礼拝学びポイント・小林泰輔牧師>

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