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執筆者の写真みたまキリスト教会

安息日に働かれる主



2021.04.25

◎ルカ6:1~11

昨今は自粛警察、マスク警察などが登場しましたが、本日の聖書箇所には「安息日警察」とも言える人たちが登場します。パリサイ人たちです。安息日に弟子たちが麦の穂を摘んで食べてしまいます。他人の畑から少し頂くことは許されていました。しかし安息日に穂を摘むというのは収穫にあたり、手で揉んで食べるという脱穀にあたるという安息日の戒律違反だったのです。いわば法律論で責め立てるパリサイ人に対して、イエスさまは判例のように過去の事例を持ち出して反論しました。ダビデの時代に祭司しか食べてはいけないパンを食べたということでしたが、それについて神は何も咎めていないのです。裁いて罰することもできましたが、神はあわれみを優先なさったのです。「…あわれもうと思う者をあわれむ」(出エジ33:19)ことは神さまの特権です。イエスさまは「人の子は安息日の主です」(5 節)と言われました。安息日に何をして何をしないかを決めるのも神の特権です。安息日は人々の安息のための神のあわれみが本質にありますから、安息日に麦を摘むことも、この後の右手の萎えた人を癒すことも、神のあわれみにかなったことでした。神は天地創造の七日目には休みまれましたが、その後は眠ることもまどろむこともなく地を治め続けておられるのです。七日目に天地創造のわざを休まれた神に倣って私たちも休みを取ります。私たちは罪の性質を持っているので簡単に神の恵みを忘れてしまいます。ですから、七日ごとの休みに礼拝をささげ。神に感謝と賛美をささげる必要があります。主イエスに倣って安息日に愛し、助け、神のあわれみを表すわざを積極的に行ってまいりましょう。(小林泰輔師)

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