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復活の主とトマス

  • 執筆者の写真: みたまキリスト教会
    みたまキリスト教会
  • 6月17日
  • 読了時間: 2分

2025.04.27

「復活の主とトマス」

◎ ヨハネ20:19-31

イエスがよみがえられた日の夕方のことです。弟子たちはマグダラのマリアから復活の主のことを聞かされていながら、まだ恐れの中に閉じこもっていました。扉には固く鍵をかけ、イエスの十字架刑の余波からくるユダヤ人たちからの迫害を恐れていました。 そんな中、イエスさまは来られ、彼らの真ん中に立ち「平安があなたがたにあるように(シャローム)」と言われたのです。扉をノックすることもなく、鍵を開けてもらうこともなく、目の前に現れたのです。弟子たちは主を見て喜びました。確かに手と脇腹には傷跡がありました。十字架の出来事や、復活したという知らせや、この三日間の目まぐるしい出来事が夢か幻かのように思われたかもしれませんが、確かな事実だったのです。 主は私たちの罪を背負われて十字架にかけられました。そのために私たちの罪の責苦もまた死んだものとなりました。そして主は私たちのためによみがえられました。そのために私たちの罪が確かに赦されたことを知ったのです。これは歴史上に起きた確かな出来事でした。 ところが弟子の一人のトマスはその時、その場にいませんでした。彼が帰ると他の弟子たちは興奮気味に「私たちは主を見た」と言いました。トマスはどう思ったのでしょうか。その事実を疑ったのか、私も見たかったと悔しがったのか、「私は、その手の釘の跡を見なければ(中略)決して信じません」という反応でした。翌週、同じような状況でまた主は現れてくださいました。トマスのためにです。感激したトマスは「私の主、私の神よ」とイエスに対して信仰を告白しました。主イエスは「見ないで信じる人たちは幸いです」と言われました。 私たちは、見たことはないけれども主をイエスと信じています。聖書のなかに記され、私たちの心の中に来られたイエスさまを信じています。その私たちに主イエスは「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」と言われました。福音の生けるあかし人として歩みましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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