忠実で賢い管理人
2022.02.20
◎ルカの福音書12:35~48
主人が婚礼に出かけていて、その帰りを待つしもべたちというたとえ話です。ここで主人とはイエスさまであり、しもべたちとは私たちのことです。イエスさまはやがてもう一度、この世に帰って来られますが、その時がいつであるかは誰も知りません。しかし、いつ帰って来られてもいいように、しっかり準備していなさいというのが大筋です。奴隷と主人の話ですが、搾取や人権蹂躙とはほど遠い、主人と奴隷の幸いな情景が描かれていると思います。しもべは主人の帰りを今かと待ち、ドアの近くに居て、帰ってきたらすぐに戸を開けられるように待機しています。主人は帰ってくると、寝ないで待っていたしもべを労い、自ら帯を締めて奴隷たちに食事を給仕するのです。お互いのことを思いやる愛と愛が重なり合うような美しい光景ではないでしょうか。以上は良かったパターンですが、悪いパターンもあります。主人の不在に怠けているだけならまだしも、家のしもべたちを打ち叩いて自分がその家の主人になったようにこき使っているところに主人が帰ってくるパターンです。泥棒がいつ入ってくるのかわからないように、主もいつ来られるかはわからないのだと、主ご自身 が言われます。このたとえで、「次に主にお会いするのはいつか」を考えますと、それは再臨の時か、自分自身の人生の終わりの時かです。「死を迎える」というのは「主を迎える」ことと同じことです。アモス4:12に「あなたの神に会う備えをせよ」とあるように、主を迎える時が思いがけない時だったと慌てなくてよいように準備しておかなければなりません。主イエスはこのような主人不在の物語をよくたとえ話にされました。私たちの住むこの世界を的確に表現したものだと思います。神さまは今も生きておられますが、ご自身は遠隔地におられるようにその留守をしもべたち(私たち)に任せておられるのです。私たちは忠実で賢い管理人であることが求められています。忠実とは、主人の思いを知る者として、主人の願う通りに治めることです。賢いとは、知能のことではなくセンスのことです。主人が喜ばれること悲しまれることに敏感であることです。主の喜びのために働く忠実で賢い管理人となりましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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