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時代に翻弄される信仰者

  • 執筆者の写真: みたまキリスト教会
    みたまキリスト教会
  • 6月17日
  • 読了時間: 2分

2025.02.09

「時代に翻弄される信仰者」

◎ルツ1:1-5

今、近隣諸国において、リーダーシップにまつわる混乱が生じている。いや、外国だけではない。国内においても、指導者を巡る問題が起きている。そして、そのような課題を取り巻く言説も、穏やかなものではない。人々が、思い思いに情報を発信しているので、一体誰を、何を信用すれば良いのか、わからなくなってくる。それに加えて、日常生活に関わる不安を、私たちは抱えている。 そのような先行きの見えない時代において、私たちは御言葉をどのように受けて止めれば良いのだろうか。ルツ記は、私たちに何を語りかけているのだろうか。 何よりも覚えたいのは、逆境に立たされたのは私たちだけではないということだ。ルツ記の登場人物も、想像を絶する困難の中に、置かれていた。まず、ルツやナオミが生きていたのは、混沌の時代であった。ルツ記の冒頭には「さばきつかさが治めていたころ」とあるが、その「さばきつかさが治めていたころ」について、士師記21:25には、次のように記されている。 「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」 当時のイスラエルには、かつてのモーセやヨシュアのような指導者がいなかった。民はまとまりがなく、気ままに、心のおもむくままに生きていた。加えて、民は神に背く生き方をしていた。背教→隷従→嘆願→救助→背教…という負のスパイラルの中にいた。同じようなところを通りながら、緩やかに落ちていく。それが、「さばきつかさが治めていたころ」であった。そして、それに追い討ちをかけるように、飢饉が起こった。その飢饉の中を生き延びるため、ナオミの家族はモアブの地に移住するが、そこで彼女は夫と二人の息子を失う。それはナオミにとって、未来を奪われる経験であった。 しかし、これがナオミの信仰生活の終わりではなかった。むしろ、そこからルツ記の物語が始まり、神の御業が展開されていく。最終的には、このナオミの家族から、ダビデ王、そしてイエス・キリストが生まれる。神は、時代に翻弄される信仰者の歩みを通して、ご自身の計画を実現していかれるのだ。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・老松望師>

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