死とよみの鍵を持っている方
2023.01.15
◎ヨハネの黙示録1:9~20
先日の葬儀、納棺式の折にヨハネの福音書14:1-6が開かれました。イエスさまは天に上られ私たちのために場所を備えてくださるというのです。そして準備ができたらもう一度来られ、その時は私たちを迎えに来てくださるのです。天国には素晴らしい家が用意されているのです。でもその家に入るためには、鍵が必要です。その鍵とは何でしょう?小学生のお孫さんがハッキリと「信仰です!」と答えてくれました。信仰の継承を見た思いでした。イエスさまは「わたしが道であり…わたしを通してでなければだれも父のみもとに行くことはできない」と言われましたから、確かにイエスへの信仰が鍵ですね。福音書の著者でもあるヨハネは、迫害に遭い、パトモス島に幽閉されていました。それは「苦難」であり「忍耐」を要することでもありましたが「御国(前述の住まい)」の確信があったので耐えることができました。そのような中でヨハネはラッパのように、あるいは大水のとどろきのように響き渡る声を聞きました。それは神の御声であり、神の啓示を諸教会に書き送ることを命じられます。ヨハネはその通りに書き留め、諸教会においてそれは回覧されました。迫害のなかにある教会はそれで大いに慰められたことでしょう。文体は黙示文学というもので抽象的な表現も多くあり、現代に生きる私たちはどのように解釈したら良いか迷うところもあります。大きく分けて、過去主義、歴史主義、未来主義などの読み方がありますが、どれか一つというよりも、預言書(新約唯一の)という性質上、過去における出来事が現在や未来についても語っているというふうに読むことができます。七つの燭台が見えました。これは教会のことです。そしてその真ん中に「人の子のような方」(ダニエル書7章参照)が見えました。これは主イエスのことでしょう。その声を聞き、姿を見たヨハネは恐ろしくなり圧倒されてしまいます。御在世当時のイエスさまが変貌された姿にも圧倒されたヨハネでしたが、こうしてもう一度その栄光の輝きに圧倒されたのです。教会の主である方は言われました。「恐れることはない」と。そして主は「死とよみの鍵を持っている」と言うのです。地獄の鍵を開いて悪い者はいくらでも懲らしめてやるぞという脅しではありません。鍵で閉じられた扉は、こちらとあちらを隔てるものです。死とよみの力を封じ込めて、信じる者が恐れることのないように、しっかり戸締りしてくださるのです。信じる者にとっては恵みと慰めと平安があるのです。十字架と復活において成就された救いの完全を信じて、恵みと平安のうちに歩ませていただきましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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