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執筆者の写真みたまキリスト教会

汝の敵を愛せよ



2021.05.23

◎ルカ6:27~36    (小林泰輔師)

「汝の敵を愛せよ」とはキリスト教の特徴的な教えとして知られているかもしれません。「難しいチャレンジ」「立派な心がけ」「無理難題」「実現不可能な理想主義」と反応はさまざま。たしかに人間の心がけや努力だけでは実現不可能でしょうイエスさまはここで二度「汝の敵を愛せよ」と言われましたが、どちらも、前の文脈を打ち消す「しかし」という言葉から始まります。一度目は、預言者たちが迫害されてきたという歴史から。迫害されたらその何倍に変えて仕返ししたくなるのが人間感情ですが、「しかし」迫害されても敵を愛しなさいと言われたのです(27)。二度目は、自分を愛してくれる人に愛で返すという愛の応酬が描かれた後、それなら罪人たちでも同じことをしていると言われ、「しかし」自分の敵をこそ愛しなさいと言われました(35)。教会にはとても温かい愛の交流があります。しかし、そこで恵みを受けるのは自分たちだけです。教会の外に目を向けるなら、そこには愛の冷え切った世界があります。人が誰かに敵対したりするのはどうしてでしょうか。その人自身が愛を十分に受けて来なかったからかもしれません。罪人同士の利害関係がぶつかり合う世においては、そこかしこに恨みや痛み、苦しみや悲しみが転がっています。イエスさまはそのような世界の文脈を打ち消し、「しかし」と言われるのです。敵を愛するという具体的な行動(あるいはシチュエーション)も語られましたが、これはすべてイエスさまが実際にその生涯で示してくださったことです。その時、敵とは私たちのことでした。神を否定し拒み敵対する私たちのために命を捨ててまで愛を示してくださったのです。愛の冷えた世に、憎しみの連鎖が止まらない世に、それでも「しかし」と流れを断ち切って、わたしとともに世界を変えようと招いておられます。御声に従い、主とともに歩みましょう。そのために聖霊を与えてくださいましたから。

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