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執筆者の写真みたまキリスト教会

涙の向こうにあるもの

2021.06.27

◎ルカの福音書7:11~23

ナインの町に住むあるやもめの一人息子が死んでしまいました。イエスさまが町に入られるとその葬列に出会いました。イエスさまはその母親を見て深くあわれみ、「泣かなくてもよい」と声をかけられると、棺に手をかけ生き返らせてくださいました。やもめの息子の死という物語は、エリヤの時代にもありました。極度の貧しさのゆえに今まさに死のうとしている母子は、エリヤを養うことになりました。神の助けによりかめの粉は尽きず壺の油はなくなりませんでした。神への信仰が与えられたことでしょうけれども、その後、一人息子が病気になり死んでしまいます。彼女は信仰の危機を迎え、つまずきかけますが、主はエリヤを通して息子を生き返らせてくださいました。エリシャの時代にもよく似た話がありました。主イエスがやもめの一人息子を生き返らせたとき、人々はこの偉大な預言者たちを思い起こしたのでしょう。イエスさまを預言者、来るべき救い主と期待する声もあがりました。その頃、バプテスマのヨハネは投獄されており、約束のメシアはイエスさまなのか弟子たちを派遣して尋ねさせました。イエスさまが預言書(イザヤ61 章等)の通りにみわざを行っていることを告げなさいと言われ、そして「わたしにつまずかない者は幸いです」と付け加えました。ヨハネでさえ神の救いのご計画の深遠なことにつまずく恐れがあったというのでしょうか。自分の手に負えない出来事、突然の病気や災害、死別などにおいては、ただ泣くしかないようなことがあります。そしてそれは時に信仰の危機になりえます。しかし、主は「泣かなくてもよい」と言われます。涙の向こうに神ご自身が私たちの涙を拭ってくださる神の国があるからです。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがあります(詩篇30:5)。だから涙の向こうに主を見上げて祈り続けましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>


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