熱いか冷たいかであれ
2023.09.17
◎黙示録3:14~22
七つの教会へのメッセージ、最後はラオディキアの教会へ宛てたメッセージです。そこには称賛はなく叱責と忠告があるだけです。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであって欲しい。そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す。」(15,16節)ラオディキアの町の近くには冷たい湧水の出るところがあり、また、熱い温泉が出るところもありました。水が冷たければ夏の渇きを癒すことができます。温泉が熱ければさっぱりします。けれども生ぬるければどちらの用にも役立たずになってしまいます。この話の結論は、神さまへの思いが生ぬるいことが一番よくないということです。ラオディキアの町の特徴に合わせて、神さまは教会に語られます。ラオディキアは金融の町でありました。教会の人々も豊かな人たちでした。何にも欠けることがないと思っているけれども、本当の心は貧しくみじめだと主は言われるのです。だから、火で精錬された金を買いなさいと言われました。それは信仰の試練のことです。試練や困難は誰もが避けたいことですが、挑戦もせず生ぬるい生活では信仰が鍛えられることはないのです。また黒羊の毛織物の町であったので、上等な着物を着ていました。しかし、実は裸の恥をさらしているというのです。だからキリストの血で洗って白くした衣を着なさいというのです。そうすれば罪の汚れは洗い清められ、恥は覆われるのです。そして薬で有名な町でもありました。人々は目がよく見えて、物事の善悪がよくわかっていると思い込んでいるけれども、実は本質が見えていないというのです。だから霊の目がよく見えるように目薬を買いなさいというのです。そうすれば、兄弟の目のちりを取り除くことができるようになります(ルカ6:42)。互いに戒め合いながら霊的成長を目指していくことができるのです(ガラ6:1-2)。色々言われていますが、実は一つのことです。熱心になって悔い改めなさいというのです。そうすれば、主はあなたの心に住み、内側からきよめ、心を燃やしてくださいます。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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