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王が不在の場合

  • 執筆者の写真: みたまキリスト教会
    みたまキリスト教会
  • 24 時間前
  • 読了時間: 2分

2025.07.13

「王が不在の場合」

◎士師17:1-13

士師記17章から21章にかけて、「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた」という言葉が、物語全体の中心テーマとして据えられています。この一節は単なる歴史的事実の記述ではなく、「神が王として認められていなかった」という霊的な危機を象徴しています。

この章では、ミカとその母、そしてレビ人の若者という三人の人物が登場します。ミカの母は盗まれた銀を「主にささげる」と言いながら偶像を造り、ミカはその偶像を家に安置し、自分の息子を祭司に立てます。やがて現れたレビ人の若者は、自分の職分を生活の手段として差し出し、ミカの家の専属祭司になりま す。こうした姿は、「神のため」と言いながら、実際には自分の安心・願望・文化に従って信仰をつくりかえてしまう人間の姿を映し出しています。

現代の私たちも、形式としての信仰を守っていても、心の中心には別のものが座っていないでしょうか。神が本当に「王」として私の心の座におられるか──それを問うのがこのメッセージのテーマです。外側の信仰がどれほど整っていても、王がいなければ、すべては人間中心の信仰になってしまいます。今日、この御言葉を通して、私たちの信仰の座をもう一度整えましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・エミリー・チョウ宣教師>

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