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執筆者の写真みたまキリスト教会

真心を見せて

2022.01.09



◎ルカの福音書11:37~54

パリサイ人、律法学者には厳しく臨まれることの多いイエスさまではありますが、これはどこかの誰かの話ではなく、自分へのメッセージとして受け止めることが必要です。私の内実が主の光にさらされたならば、私のうちにもドロドロとした汚いものがあることを認めざるを得ません。しかし、その上で主は私たちに、取り繕ったような心ではなく、真心を見せて欲しいと願っておられるのではないでしょうか。イエスさまはパリサイ人、律法学者たちに、言うなれば「お前たちはプリテンダーだ!」と言われたのです(「プリテンド」=「〜のふりをする」の意)。パリサイ人は表面的な振る舞いは完璧に近いものがありました。自分でも立派だと思うのも無理ないことでした。私たちも気づかない内に高慢になってしまうことがあります。ですから、内実を暴かれることもまた恵みです。罪に気づくことがなければ悔い改めることもなく、悔い改めることがなければ救われることもないからです。これもまた主の愛です。イエスさまはまたパリサイ人たちを「墓」にたとえて言いました。ルカ伝では「人目につかない墓」、マタイ伝では「白く塗った墓」と言われました。墓の中の死骸は汚れているとされていました。夜など、気づかないうちに墓を踏んで汚れに触れるといけないので、目立つように墓は白く塗られていたのです。しかし、墓は墓ですから、いくら外側を白くして綺麗に見えても内側には腐敗したものが満ちている、そういうたとえでした。マタイ、ルカ、両方のたとえに共通する本質的な問題は「お前は墓のように死んでいる」ということではないでしょうか。罪と汚れに満ちた内実を暴かれたならば、それを悔い改めて、自分に死ぬことです。そしてイエスとともによみがえって新しいいのちに生 きることです。ヨハネ4:23の「霊とまことによって礼拝する」という言葉は新しい訳では「御霊と真理によって」となりました。私たちの霊的なひたむきさと誠実さによって礼拝するのではなく、御霊と真理であるイエスさまとによって父なる神を礼拝するのです。御霊の導きにより悔い改め、イエスさまの贖いのみわざにより、父の子にされたのです。私たちの内にあった「強欲と邪悪」は「御霊と真理」に変えられました。人々にもこの福音を届けましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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