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執筆者の写真みたまキリスト教会

神のいつくしみと厳しさ

2023.01.01



◎ローマ11:22

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。新年から新しいシリーズで黙示録の連続講解説教をルカの福音書と並行して進めて参ります。黙示録と言うと、世の終りのことや、世界の裁きのこと、引いては地獄のことなども語られることもあり、終末論として恐ろしく思われる方もあるかも知れません。十字架の言葉(聖書の福音)が救われる者にとっては良い知らせであるけれども、信じない者にとっては滅びの宣告であるように(Ⅰコリ1:18,19)、黙示録もその人の信仰のあり方によって受け止められ方は変わります。しかし、著者ヨハネがこれを諸教会に書き送った(あるいは主イエスが書き送らせた)目的は、信じる者の幸いを語り知らせるためでした。ですから恐れる必要はなくむしろ喜ぶべきものです。今日のところにも第一の幸いとして「この預言のことばを…聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである」(3節)とあります。ヨハネが見て聞いたことは啓示とも訳せる言葉で、覆われたものがひらかれることですが、黙示文学という象徴的な表現で描かれました。そのためさまざまな解釈が生まれやすく、キリスト教史上においてもトンデモ説が何度も流布されました。ですから注意深く読み進めていきたいと思います。一章の始まりは、これらが「すぐに起こるべきこと」であるという緊急性と、しかし信徒にとっては恵みと平安をもたらす知らせであることが強調されています。ですからいたずらに恐怖を煽るものではないのです。また、やがて主がもう一度来られるのは秘密の再臨ではなく公の顕現です。α(アルファベットの始め)でありΩ(終り)である方は、今もインマヌエルの主としていつも共にいてくださいます。やがて私たちを王国に迎えてくださいます。そして現在は地上において祭司(礼拝し、礼拝を導く者)として置いてくださいます。喜びつつその務めに励みましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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