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執筆者の写真みたまキリスト教会

種は蒔かれた

2021.07.25



◎ルカの福音書8:1~15

イエスさまは群衆に向ってたとえを用いて話されました。種を蒔く人のたとえですが、それは解き明かしなしにはその真意を理解できないものです。弟子たちはイエスさまにその意味を教えてくださるようにお頼みしました。しかし、イエスさまの語ることに耳を傾ける気のない人はその意味を尋ねることなく聞き流すのでしょう。聞く耳を持たなければ、福音の種は芽を出すことがありません。種を蒔く人のたとえの結論は、立派な良い心でみことばを聞く者は豊かな実を結ぶというものです。種を蒔く人は神さまで、蒔かれる種は神のみことばです。それを受け止める四つの土地は私たちの心や信仰の有様を表しています。「道端」で表されるのは、みことばを聞いても信じることがなく、後で悪魔が来てみことばが取り去られてしまうという姿です。「後で」とあるように(マルコの「すぐに」と対照的ですが)、信仰者でも、信じる心を失えばみことばを取り去られることもあると教えられます。「岩地」で表されるのは、みことばを聞いてしばらくは信じるが、試練のときに信仰を失ってしまう心のことです。「茨の中」は思い煩いや富や快楽などで信仰の成長が阻害される状態のことです。「良い地」が立派な良い心でみことばを聞くことです。そうすれば百倍の実を結ぶと約束されています。これは四種類の人がいるのではなく、同じ人の四種類の心の有様を表しています。世の中には二種類の人間がいます。みことばに対して、聞く耳をもっている人と、そうでない人です。聞く耳を持ちさえすれば、信仰が成長し百倍の実を結ぶという可能性が開かれています。四つの状態を行きつ戻りつするかもしれませんが、良い土を保つことを目指していくのです。それは励まし合い、戒めあうことなしには難しいことです。共に成長していくために、そして宣教の種蒔きを協働するために神さまは教会をこの地に建てあげてくださいます。そのためにこそ私たちは召され、教会になるのです。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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