美わしの都
- みたまキリスト教会
- 6月17日
- 読了時間: 2分
2025.02.16
「美わしの都」
◎黙示録22:1~7
22章では前章に引き続き、天の御国の素晴らしい情景が描かれています。水晶のように輝くいのちの水の川が流れています。エゼキエル書47章でエゼキエルが見た幻もよく似た描写ですが、両者の違いはその水の源です。エゼキエルは神殿から水が流れ出て地を潤す様子を見ました。ヨハネが見た新天新地においては「神と子羊の御座から出て」いるのを見ました(1)。その水は「いのちの水」です。今を生きる私たちにも流れている「いのちの水」は聖霊のことであります(ヨハネ7:37-39)。御国には、神(御父)子羊(御子)御霊の臨在があり、潤され、霊に満たされるのです。川の両岸には豊かな実があり、木の葉は薬となって健やかさを保たせます。 アダムとエバの原初の罪により、地はのろわれたものとなりましたが、ここには「のろわれるものは何もない」のです。神のしもべたる天国の民は喜んで神に仕え、御国の相続人として、王として、主とともに治めます。天国では限りない礼拝がささげられるけれども、そのうち飽きるのではないかと心配する必要はありません。“礼拝式”が延々と続くのではなく、神と共に住まう本質的ないのちある礼拝がささげられるのです。神さまと顔と顔を合わせて住まい、御国を治めるというやりがいのある奉仕を任されるのです。 そこには夜がありません。夜は古代の人にとっては恐ろしいものであったに違いありません。野獣や盗賊の暗躍する時間だったことでしょう。しかし、そのような恐れもすべて過ぎ去ったものであり、神の栄光がすべてを照らす世界なのです。 そしてイエスさまは「わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを守る者は幸いである」と言われました(7)。黙示録の断片的情報だけでも美わしの都であることがわかりますが、実際にそこに着いた時の感動はどれほどでしょうか。御国を慕い求めて今を生きることは本当に幸せなことです。待ち望みつつ、今置かれている所で自分の仕事に励みましょう(Ⅰテサ4:11)。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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