義人の復活のとき
2022.04.17
◎ルカの福音書14:1~14
復活節おめでとうございます。私たちはイエスさまがもう一度来られるときに、イエスさま と同じ栄光の姿によみがえります。すべての人がよみがえるのですが、善を行った者はよみがえって命を受け、悪を行った者はよみがえってさばきを受けます。このさばきの結果が第二の死であり永遠の滅びです。義人には第二の死はありません(ヨハネ 5:28,29、黙示 20:6)。そして義人とは誰か、それは主イエスを心の中心に迎え入れ、親しく食事の交わりをしてきた者たちのことです(黙示3:20,21)。さて、今日の箇所ではパリサイ人たちによって“目の前に病で苦しむ人がいたら安息日でも癒してしまう説”の検証がイエスさまに対して行われました。その結果次第ではイエスを批判しようとしたのでしょう。仕掛け人のように水腫を患った人が目の前に置かれました。イエスさまはその試みを知りながらでしょうけれども「安息日に癒すのは律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか」と尋ねますが、人々は答えません。イエスさまはその人を抱いて癒 やし、家に帰してあげました。それから「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者が、あなたがたのうちにいるでしょうか」ともお尋ねになりましたが、誰も答えません。自分の息子なら助けるに決まっているからです。しかし、天の御父は私たちを罪から救うための愛と、罪人は裁かれなければならないという義とのゆえに、御子イエスさまを身代わりに見捨てられた者とするという痛みと苦しみを引き受けてくださいました。私が今救われてあるのは当たり前のことではないのです。そのような神の愛を知らず、人々は上座の席を争っていました。そこでイエスさまは婚宴の席次についての譬えを話されました。謙遜の美徳を教えたものではなく、天の御国の譬えです。やがて御国に着いたとき人生を振り返りつつ、末席に座るとイエスさまが来て「友よ」と声をかけてくださり、上席に、イエスさまの御座の隣に案内してくださるのです。自分の地位や名声ゆえに上席に座って当然と思っていると恥をかくこともあるようです。「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」イエスさまのように分け隔てなく目の前に置かれた人に精一杯仕えて歩みましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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