行いの実を結ぶ
2021.06.06
◎ルカの福音書6:43-49
「心に満ちていること」(45)は何か。心をさぐられるみことばです。神に出会う前ならば、罪悪感や他者への苦い思いで満ちていることかもしれません。それではとげとげしいイバラのような悪い木につながり、悪い言葉が出てしまうかもしれません。しかし、私たちには自由が与えられています。良い木を選ぶことができます。良い木であるイエスさまにとどまり続けることは訓練することができます。神の恵みを思い起こす訓練です。そうすれば心の中は神さまへの感謝と賛美に満たされ、それが口から出てくるようになるでしょう。「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか」(46)。道徳的善を行わないことを責めているというより、広い意味で捉えるなら、みことば通りに生きようとしないことでしょう。何よりもまず先に実践すべきみことばは、「わたしにとどまりなさい」(ヨハネ15:4-5)ではないでしょうか。ぶどうの木であるイエスさまにつながっていなければ、そもそも行いの実を結ぶことはできません。私たちは良い人生を送りたいと願います。どんな嵐にも揺るがない家(48)のような、確かな人生を積み上げていきたいのです。そのためにはイエスさまにとどまり続け、ぶどうの幹なるイエスさまから力をいただくことです。神の恵みをいつもおぼえている訓練を通して自分の信仰の内面を掘り下げていくなら、確かな土台の上に家を建て上げることができるでしょう。やがて世を去る時か、世の終わりの神のさばきの時でさえも、神の御前に確信をもって立つ(Ⅰヨハネ3:21)ことができるほどの信仰に成長するでしょう。人の知らないうちに植物が成長するように、行いの実も成長することでしょう。「与えよ、さらば与えられん」とも「求めよ、さらば与えられん」ともあるのは、人々に与えるために求めるのです。そうして、隣人の力になれたときには幸いな人生の喜びを実感するでしょう。(YOUTUBE清和キリスト教会オンライン礼拝・小林泰輔牧師)
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