top of page

キリスト伝道隊
♱✡ 異邦人の完成とユダヤ人の回復を祈る教会 ✡♱
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても
しっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、
絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
テモテへの手紙 第二 4:2
検索


終末の大掃除
2026.01.18 「終末の大掃除」 ◎Ⅰペテロ4:1-11 聖書は「万物の終わりが近づいた」と語ります。歴史のクライマックスを前に、私たちは何を整えるべきでしょうか。かつてイスラエルの⺠が「パン種(罪や古い性質の象徴)」を家から取り除いて祭りを祝ったように、私たちも魂の⼤掃除をして、新しい時を迎える備えをしましょう。 第⼀に、古いパン種を捨て、「させられる」⽣き⽅から「選び取る」⽣き⽅へと変えられることです。ペテロはイエスさまと「同じ⼼構えで⾃分を武装しなさい」と勧めます。イエスさまは、仕⽅なくではなく、私たちを救うために「⾃ら選び取って」⼗字架にかかられました。対して私たちは、「世間の常識だから」「断ると悪⼝を⾔われるから」と、周囲の圧⼒や欲望に流されて⽣きてしまいがちです。しかし、みことばは「過ぎ去った時は、もう⼗分です」と語ります。流される⽣き⽅に「もう⼗分だ」と宣⾔し、神さまの御⼼を主体的に選び取っていこうではありませんか。 第⼆に、掃除をして空いた⼼のスペースに、神さまのいのちを循環させることです。そこには「祈り」「愛」「奉仕」とい

みたまキリスト教会
5月13日読了時間: 2分


あなたがいてくれてよかった
2026.01.11 「あなたがいてくれてよかった」 ◎ マルコ2:1-12 中⾵の⼈をイエス様のところに連れて⾏った4⼈。彼らは、どうして我先にと⼀⼈でイエス様のところに向かわなかったのでしょうか? それは、「⼀緒に」「この⼈と」「この喜びを共にしたい」があったから。私たちにも、「⼀緒に」「この喜びを共にしたい」そう思って⼼に浮かぶ誰かがいます。皆さんにとってはそれは誰ですか? 5 節には、イエスは彼らの信仰を⾒てとあります。彼らの信仰、それは中⾵の⼈を「⾃分たちの⼒で」でも、「この医者のところに」でもなく、⾃分たちではどうすることもできない中⾵の⼈の癒しを願ってイエス様のところに運んだのでした。しかも、また今度ではなく、今この時にしがみついて屋根まで剥がしたのでした(4)。 それが彼らの⾏動に表された信仰でした。私たちも、⾃分ではどうすることもできないこともイエス様のところに運ぶものでありたいのです。このこと、あのこと、何より⼀緒にを受け取りたいあの⼈のために、今この時にと祈ること、声をかけ招くこと、愛することを諦めない者であリたいのです。も

みたまキリスト教会
5月13日読了時間: 2分


健全な良心は弁明する
2026.01.04 「健全な良心は弁明する」 ◎Ⅰペテロ3:9-22 掃除機が自分をファンヒーターだと思い込み、必死にモーターを回して熱を出そうとしても、部屋は暖まりません。私たちも「クリスチャンらしくあらねば」と、自分の努力で熱心さを生み出そうとして、ガス欠になっていないでしょうか。ペテロの手紙は、私たちが神さまに造られた本来の機能、すなわち「健全な良心」を取り戻す道を語ります。 聖書が語る「善(アガソス)」とは、重苦しい道徳的義務ではありません。それは、掃除機がスムーズにゴミを吸うように、神さまに造られた本来の機能が絶好調である状態を指します。つまり「本来の機能を発揮し」「役に立つ」という意味があります。健全さの回復は、神さまのなされる善いことに憧れ、惚れ込むことから始まります。まず「心の中でキリストを主」とする( 15 節)とき、罪で目詰まりしていた良心は 修理され、息を吹き返します。その回復の喜びが内からあふれ出る時、それは言葉による論破を超えた、最強の「弁明(証し)」となるのです。 また、「義のために苦しむ」ことも恐れる必要はありませ

みたまキリスト教会
5月13日読了時間: 2分


主は良い羊飼い
2025.12.28 「主は良い羊飼い」 ◎ヨハネ10:11-15 「わたしは良い羊飼い」というイエスさまのことばは、当時の人々にとって衝撃的だったかもしれません。当時、羊飼いは社会的に蔑まれた職業だったからです。しかし、主があえてこの名を名乗られたのは、遠く安全な場所から指示する支配者ではなく、私たちの罪深い泥沼の現実にまで降りてきてくださる神さまであることを示すためでした。羊は一度ひっくり返ると、自力では起き上がれません。人生の重荷に倒れ、動けなくなっている私たちのすぐそばまで、イエスさまは来てくださり、命を捨てて救い出してくださいます。本来の「良い羊飼い」という称号が示すのは、神さまご自身であるということです(エゼ34 章ほか)。主は私たちを「知って」おられます。それは単なる知識ではなく、深い人格的な結びつきです。誰にも見せられない心の闇や弱さのすべてを知り尽くした上で、なお私たちを愛し、受け入れてくださ るのです。この安心感があるからこそ、ダビデのように「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」と告白し、魂の平安を得ることができるの

みたまキリスト教会
5月13日読了時間: 2分


道~約束の王を求めて
2025.12.21 「道~約束の王を求めて」 ◎マタイ 2:1-12 二千年前、星に導かれ「約束の王」を求めて旅をした東方の博士たち。彼らの姿は、真理の「道」を渇望する私たちの歩みを象徴するかのようです。博士たちは、この世の安住に留まらず、天の導きを求める「霊的な旅人」でした。私た日本人が持つ「どこかに真理があるはずだ」という敬虔な信心は、神さまが備えてくださった素晴らしいポテンシャルです。ひとたび真実の王であるイエスさまに出会いさえすれば、その信仰は人生を根底から変える大きな力となるに違いありません。 対照的なのは、当時の宗教指導者たちです。彼らは救い主誕生の「知識」を持ちながら、実際には一歩も動きませんでした。「ろばは持ち主の飼葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らない」(イザヤ l )とのみことば通 り、彼らは知識に慣れ、自分の地位を守ることに汲々として主を拒絶したのです。 博士たちは幼子を見出し、ひれ伏して礼拝 し、黄金、乳香、没薬を捧げました。没薬は後に十字架で死なれる主の受難の予兆でもありました。本来の民が拒絶した恵みを、異邦人

みたまキリスト教会
5月13日読了時間: 2分


神があなたのために歌う理由
2025.12.14 「神があなたのために歌う理由」 ◎ゼパニヤ3:14-20 降臨節第3 週は、教会の伝統において「喜び」をおぼえる週です。ゼパニャ書3:14-20 は、罪と混乱、不安に満ちた時代に生きる民に向かって、「歓呼せよ、喜べ」と呼び‘かけます。この喜びは一時的な感情ではなく、主が刑罰を取り除き、王として民のただ中に来てくださるという、揺るがない事実に根ざしています。この約束は、イエス・キリストの降誕によって成就し、「インマヌエル(神は私たちと共におられる)」が現実となりました。神は私たちを喜び、愛をもって新しくし、歌って喜ばれるお方です。 この喜び‘は、恥を誉れへと変え、弱さや孤立の中にある者をも回復へと招きます。 クリスマスは、破れた世界のただ中に、主が来てくださったことをおぼえる時であり、状況を超えて与えられる喜びに生きるよう私たちを招いています。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・エミリー宣教師>

みたまキリスト教会
5月13日読了時間: 1分


すべての人を救う愛
2025.12.07 「すべての人を救う愛」 ◎Ⅰペテロ3:1-9 先週の礼拝では、ペテロの手紙第一3 章1 節から9 節を通して、「すべての人を敬う愛~家族というシステムに命を吹き込む道~」と題し、みことばを聴きました。ペテロが語った「すべての人を敬いなさい」という原則は、私たちの生活の最も身近で、かつ最も感情が揺さぶられる現場である「家庭」においてこそ、その真価が問われます。 第一に、妻たち(母)に対して「言葉ではなく、清い生き方によって夫を勝ち取りなさい」と勧められました。人間関係がこじれる時、私たちはつい「正論」という言葉で相手を変えようとしてしまいます。しかし、罪人である私たちは、自力では感情的な「負の連鎖」を止めることができません。ここで求められている「柔和で穏やかな霊」とは、単なる大人しさではなく、神さまに望みを置いて善を行う、しなやかな強さ(レジリエンス))のことです。この凛とした「言葉なき愛」こそが、頑なな心を溶かし、家族というシステムに神の命を吹き込むのです。 第二に、夫たち(父)に対しては、妻を「弱い器」として理解し、敬うこ

みたまキリスト教会
5月13日読了時間: 2分


城壁の外
2025.11.30 「城壁の外」 ◎マルコ1:4-44 旧約聖書の律法において、ツァラートは伝染性の有無にかかわらず、祭儀的(宗教的)に**「穢れ」**と判断されました。患者は社会から隔離され、イスラエルの共同体から締め出されるという、非常に過酷で絶望的な状況に置かれました。これは、彼らが「アブラハム契約の外」で暮らすことを意味しています。 <イエスの憐れみと律法の完成> マルコ1 章40 節で、ツァラート患者はイエスの主権を信じ、「お心ひとつで」きよめられることを願ってひざまずきました。イエスは深く憐れまれ、律法で禁じられていたにもかかわらず、「手を伸ばして彼に触れ」、「わたしの心だ、きよくなれ」と宣言されました。この触れる行為は、律法を与えた神ご自身が、神への愛と隣人への愛という律法の原則を具体的に示し、メシアによる正しい律法の姿を完成させた行為でした。ユダヤ人にとって、ツァラートの癒しはメシアしかできない奇跡であり、イエスはご自身がメシアであることの完全な証しを示されたのです。 彼が清められたのは、表面的な病の回復ではなく、イエスのきよさ

みたまキリスト教会
5月13日読了時間: 2分


不当な苦しみの中で魂を守る道
2025.11.23 「不当な苦しみの中で魂を守る道」 ◎Ⅰペテロ 2:21-25 私たちは理不尽な苦しみや不当な扱いに直面する際、「徹底的にやり返す」か「泣き寝入りする」かの両極端になりがちです。 しかし、ペテロによって著されたイエスさまの姿は、そのどちらでもない「レジリエンス(しなやかに回復する力)」です。 イエスさまは、ののしられても言い返さず、正しくさばかれる方にお任せになりました。これは諦めではなく、神さまという最高裁に案件を委ね、相手と自分の間に「ここからは神さまの領域」という境界線を引く能動的な戦いです。これによって、憎しみや復讐心から自分の魂を守るのです。私たちの魂は、神さまから管理を任された大切な預かりものです。だからこそ、不当な攻撃によって魂をすり減らしてはいけません。必要なのは、神さまへの信頼に基づく「Stewardship(管理者意識)」と、「Necessary Ending(必要な終わり)」です。 「キリストにあるレジリエンス」とは、単に心が折れないことではなく、傷つきながらも古い自分に死ぬことです。私自身も、実父に対す

みたまキリスト教会
5月13日読了時間: 2分


神のしもべは良き市民
2025.11.16 「神のしもべは良き市民」 ◎Ⅰペテロ 2:11-20 2:11 愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。 2:12 異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。 2:13 人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、 2:14 また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。 2:15 というのは、善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。 2:16 あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。 2:17 すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。 2:18 しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善

みたまキリスト教会
5月13日読了時間: 2分


ピースメーカー
2025.11.09 「ピースメーカー」 ◎ヨハネ4:31-38 清和キリスト教会の皆様と、共に礼拝を捧げられた恵みに感謝いたします。京都復興教会で、 一年間心に留めてきたみことばを、分かち合いました。そのテーマは「教会への奉仕と伝道」です。これは、信仰の上級レベルということができるでしょう。です から、難しいなぁと感じても、 あたりまえで落ち込む必要はありません。まず、 神の愛に心を開き、そしてみことばを味わい、さらに交わりの中で恵みを経験することが大切です。しかし、主の御心は、私たちの思いをはるかに超える世界です。私たちを新た なステージへと、聖霊は促しています。イエス様の満足・喜びは、どんな食べ物の満腹感よりも、御心が成就したという満たしだったのです。同時に「神様はあなたを、試練の前よりはるかに良くしてくださる」というメッセージが、私たちに与えられています。東日本大震災の被災者への励ましとして語られたこの言葉は、深い苦しみの中から救われたサマリヤの女のように、 神が新しい命と希望を与えてくださるという約束です。現実は厳しくとも、神の「はるか

みたまキリスト教会
5月13日読了時間: 2分


十字架の死と復活③
2025.11.02 「十字架の死と復活③」 ◎Ⅰコリント15:35-44 「十字架の死と復活」シリーズの最終回です。これまで、十字架が私たちの罪のためであり、復活がその救いの力を証明したことを見てきました。今回は、イエスさまの復活が私たちにもたらす「からだのよみがえり」という希望についてです。私たちは病やコンプレックスなど、思い通りにならない「からだ」に苦しんでいます。しかし、私たちが本当に求めているのは、「からだ」を捨てて霊魂になることではなく、不完全さから解放された「本来の、本当の自分」を取り戻すことではないでしょうか。聖書が語る「からだのよみがえり」とは、まさに神さまによる「再創造」の希望です。イエスさまは、十字架で私たちの弱さや死を引き受け、三日目に幽霊としてではなく、栄光の「新しいからだ(ソーマ)」をもってよみがえられました。これは、単に一人が生き返ったというニュースではなく、神さまによる「新しい世界の創造(再創造)」が始まったという宣言です。そして聖書は、「教会はキリストのからだ」であると語ります。復活されたキリストが聖霊を送られた

みたまキリスト教会
2025年11月14日読了時間: 2分


信じるだけで救われる
2025.10.26 「信じるだけで救われる」 ◎使徒15:1-11 初代教会で、大きな問題が起こりました。異邦人が多く集うアンティオキア教会では、たくさんの人々がイエスさまを信じていましたが、そこへユダヤから来た人々がやって来て、「イエスさまを信じるだけではだめだ。私たちユダヤ人と同じように律法(割礼など)を守らなければ救われない」と教えたのです。これを聞いた異邦人のクリスチャンたちは、「私たちは割礼を行っていない。救われないのだろうか」と心配になりました。この問題を話し合うため、パウロとバルナバはエルサレム教会に行き、そこで会議が開かれました。「ユダヤ人と同じく割礼を守るべきだ」という意見と、「イエスさまを信じるだけでよいはずだ」という意見が激しくぶつかります。その中で、ペテロが、かつての経験を証しました。「神さまは、異邦人にも、救いの印として聖霊を送ってくださいました。私はそれをこの目で見ました」。パウロとバルナバも「神さまはユダヤ人にも異邦人にも同じ救いを与えてくださっています」と報告しました。最後に、エルサレム教会のリーダーであったヤコ

みたまキリスト教会
2025年11月4日読了時間: 2分


十字架の死と復活②
2025.10.19 「十字架の死と復活②」 ◎使徒2:22-32 なぞなぞで「入り口は一つ、出口は二つ」というものがあります。答えはズボンです。しかし、これは人生の真理でもあります。私たちはみな、母のお腹から生まれるという一つの入り口を通りますが、死後には天国と地獄という二つの出口に分かれるのです。神さまは私たちに、どちらに行くかを選ぶ自由を与えてくださいました。天国行きの道は、「イエスさまの十字架によって私の罪は赦された」と心で信じ、口で告白することです(ロマ10:9-10)。今日は、十字架の死の意味を決定づけた「復活」について見ていきましょう。ペテロは、イエスさまが捕らえられた時、人々から問われ、三度も「あんな人は知らない」とイエスさまを否定するという大失敗を犯しました。弱く、情けない姿をさらけ出したのです。しかし、イエスさまは、そんなペテロを復活の最初の目撃者の一人として選ばれました。さらに、復活したイエスさまはペテロの前に現れ、「私を愛しますか」と三度尋ねられました。ペテロは三度「愛します」と答えました。それは主の逮捕の時に言えなかった

みたまキリスト教会
2025年11月4日読了時間: 2分


恵みを現す神の作品
2025.10.12 「恵みを現す神の作品」 ◎エペソ2:1-10 みなさまは「教会」と聞いて何をイメージするでしょうか。私は長い間、建物をイメージしていました。しかし、「教会」と訳された元の言葉は「呼び集められた者たち」という意味です。神様が目的を持って、救いに招かれた者たちの集まりが教会であり、教会は神の作品です。私たちは、かつてはみな罪の中に死んでいました。悪魔は必死に、私たちを神様から遠ざけ、罪の中の死へと引っ張っていこうとします。実際にからだは生きていても、私たちを造り、私たちにいのちを与えた神様から離れているとき、それは霊的に死んでいる状態なのです。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛する その大きな愛のゆえに、イエス様をこの地に送 ってくださいました。イエス様の十字架によって私たちの罪を赦し、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。救いは、神様から先に、そして一方的に与えられる恵みです。この救いの恵みを、手を開いてただ受け取ることが信仰です。救いの恵みゆえの信仰によって、私たちは罪から自由にされ、キリ

みたまキリスト教会
2025年11月4日読了時間: 2分


十字架の死と復活①
2025.10.05 「十字架の死と復活①」 ◎ヘブル9:26-28 先週、父の逝去に加え、短期間に相次いで三名の訃報に接し、私たち誰もがいつかは迎える「死」という現実をおぼえさせられました。聖書は、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」と教えています(27 節)。この世の騒がしさの中で忘れがちなことですが、人の死に触れるとき、私たちは自らも死すべき者であることを思い起こします。その備えはできているでしょうか。本当に必要な備えは、葬儀の準備や相続といった地上の「終活」ではなく、「死後」についての備えです。私たちは皆、この地上での肉体の死だけでなく、その後の「さばき」への備えをしなければなりません。では、どうすれば死後の備えができるのでしょうか。それは、神のひとり子イエス・キリストが、私たちの罪を取り除くために、ご自分をいけにえとして十字架にかかり、死んでくださったという真理を受け入れることです。イエスさまの十字架の死は、私の罪を身代わりに背負うためだったのです。しかし、イエスさまの贖いは十字架で終わりません。死からよみ

みたまキリスト教会
2025年10月15日読了時間: 2分


みことばに従ったヨシヤ
2025.09.28 「みことばに従ったヨシヤ」 ◎Ⅱ列王記22:1-2 南ユダ王国の王ヨシヤは、聖書において「主の目にかなうことを行い、父祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった」と記されている人です。父アモンは主に背を向けた悪い王でしたが、ヨシヤはわずか8歳...

みたまキリスト教会
2025年10月8日読了時間: 2分


味わったものを思い出す
2025.09.21 「味わったものを思い出す」 ◎Ⅰペテロ2:1-10 2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、 2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによ...

みたまキリスト教会
2025年10月8日読了時間: 2分


御国を受け継ぐ者とされている
2025.09.14 「御国を受け継ぐ者とされている」 ◎Ⅱサムエル6:6-13 【神を認める?認めない?】神を認める。それは、耳で聞き、頭で知り、心に招くことです。その神とは、命の無い像や人の想像で作る神ではなく、私たち人間を創り命を与える、生きておられる神です。...

みたまキリスト教会
2025年10月8日読了時間: 3分


朽ちない種から生まれる
2025.09.07 「朽ちない種から生まれる」 ◎Ⅰペテロ1:13-25 秋風を感じるこの季節に、人生の「秋」を考えることから始めましょう。聖書は、人の命を「人はみな草のよう、その栄えはみな草の花のようだ」と語り、その儚さを率直に表現しています。どんなに美しく咲き誇った花...

みたまキリスト教会
2025年10月8日読了時間: 2分
bottom of page